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介護は、「する側の納得」が肝だと思う

以前、知人からの質問に

介護と経営ってどうバランスを取っているのか」というのがありました。


普段介護も経営も全力でやっているけど、命にかかわる緊急時を除き、

どっち優先かといえ私は経営が優先です。母にも納得してもらっています。

ただ、それ以外はかなりの頻度で母に接していますし、体調の変化等には

じゅうぶん気を配っています。つまり今が肉体的精神的MAX状態。

これ以上介護と経営頑張ったら絶対何かが壊れる、自信あるわ。


…で、介護ってここが重要だと思うんです。「全力でやったか」という一点。

母もいずれ亡くなります。ひょっとしたら私が仕事中に独居で「喉詰め」して

帰宅したら冷たくなっているかもしれない。介護はひたすら、ここ一点。

亡骸に対して胸を張れるか」。変な言い回しですみません。


父親の時は棺を見て泣きました。あんまり仲良くなかったけど、

絶対泣かないと思っていたのに泣けてきた。死んだのが泣けたんじゃない、

ちゃんと介護できなくて申し訳ない気持ちと、情けなさ。

一人っ子で私以外きちんと介護する人がいなかったのに(母は既に認知症)、

現実から目をそむけてしまった。全くやらなかったわけじゃないけど、

まだぜんぜんやる余裕あった。自分がその事を思い知らされたのは、通夜の時。

父を介護して下さったヘルパーの方々が弔問にこられたのですが、

母には手を取って涙を流して声を掛けてくださったのに、

私には一瞥だけしてさっさと離れていったんです。喪主ですよ、私。

面識もありました。本当に、塩対応。この時気付いたんです。

私は父の介護から逃げたバカ息子扱いなんだなと。屈辱でした。

でもヘルパーさん達も分かっててやってた筈です。怒っておられたのでしょう。

深夜に痰抜きとかしていたのになあ…まあそれでは足らないんでしょうね。

(父には申し訳ないけど、父の分まで母は看るわ)

介護ももうじき5年です。皆様も介護している方、これから介護される方、

たくさんいらっしゃるかと思います。

介護にパーフェクトはありません、あったとしても仕事と両立はできません。

あるのはただ、「自分は介護から逃げずにやったかどうか」のみ。

逃げたら過去の私のように棺や墓の前でベソかくハメになるし、

きっちり「全力で」やり切ったのであれば、亡骸の前でも毅然として

現実と向き合えるし、もし身内が介護の不備をなじったりなんかしたら


「こっちは全力でやったわ!何の申し訳無さも後悔もない、

これ以上グダグダ言うなら、お前の●日も今日にすんぞ!」


くらい言っていいよ(ダメか?)。口ばっかの人間、ホント最低。

昨今は介護のプロでも「要介護者より介護する家族を心配しないと」と

警鐘を鳴らしているので、「全力尽くしてあとは居直る」のが正解

なんじゃないかな…ともかくお互い、ご無理なきよう。


by kinkenya-kobutu | 2019-08-03 18:57 | 古物商としての葛藤 | Comments(0)